スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『光ってみえるもの、あれは』 川上弘美 

 16才の男子高校生が、奇妙な大人たちに取り囲まれながら、自身も大人へと変容していく過程を描いた青春小説。
 (略)
江戸翠(みどり)は、フリーライターの母と祖母との3人暮らし。「ふつう」である翠に少し不満を持つ母を筆頭にして、家族はみな、どこか浮世離れした人々だ。ときどき「翠くんの生き血を吸いたくなるのよね」などと言う祖母。そして、翠の遺伝子上の父親で、ふらりと家にやってくる大鳥さん。一方で、親友の花田は「ものすごくシミシミした感じで」世界に溶けこんでしまう自分が困るという。やがて花田は、セーラー服を着て登校しはじめる。
<以上Amazon.comの解説から引用>

どうにも上手くお話の中身をまとめられなかったので、引用をさせて頂きました。
顧みると、今までも川上さんの作品はそうしている記事が多いですね(^^;

この長編小説は、私が川上さんの作品を読んだ反応としては珍しく、「考えさせられた」作品でした。
他の作品では解釈してゆくより川上さんの醸す不思議な空気をそのまんま味わうのが好きなのですが。
『光ってみえるもの、あれは』には、女性と恋愛する以前の段階としての同性愛がテーマのひとつとしてあったのではないか、と思っています。
江戸と恋人・平山水絵の恋愛が即物的に描かれる一方で江戸と花田の繋がりはスピリチュアルに丁寧に描かれる。
若い、恋を知ったばかりの江戸にとって、「おんな」はまだ良く解らないものであり即物的に肉欲の向かう先であるようです。
逆に十数年親しく知った「おとこ」は気心の知れたものであり、恋愛で喩えるならば情欲をのぞいても絆を形成できる土台が既にある、のかなと。
伏線らしきものを引きつつも、ストレートな描写がされていない分、江戸と花田の絆が江戸と平山の恋愛関係より一層深いところにあるのではないかと想像させられました。

「恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

というのは『こころ』の先生の言葉ですが、花田と江戸の関係がそのようなものであるとすれれば、女ひとりに男ふたりというのもまた漱石的です。
ひとりの女性を取り合っている(ひとりの女性をふたりの男性が想っている)ように見えて、その実女性の頭を飛び越えて男性同士が強い関係を結んでいる(いた)。
例えば『それから』の代助と平岡と三千代。『こころ』の先生とKと奥さん。『門』の宗助と安井と御米。
水絵が感じていたもの寂しさ、江戸の冷たさはこのあたりから来るのではないでしょうか。
ただし水絵はそれに抗い、男女の恋愛という段階に江戸を引っ張って行こうとしている(ように見える)点が漱石の描くヒロインとは違っているようです。

解り辛いうえ、矛盾のある話で申し訳ありません; 依然として思考中です。
不愉快に思われる方がいらっしゃいましたら重ねて本当に申し訳ありません。
川上さん(も漱石も)大好きです…!

光ってみえるもの、あれは (中公文庫)光ってみえるもの、あれは (中公文庫)
(2006/10)
川上 弘美

商品詳細を見る
スポンサーサイト

Comments

Comment Post















管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

Trackback URL
http://dankeschon4310.blog16.fc2.com/tb.php/683-ab12889e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。